第22回神様、仏様、患者様(下)
確かに、私たち医療の世界も患者さんが来なければ経営は成り立ちません、その点では接客業と同じなわけです。しかし、決して『お客様は神様』的な考え方をしているわけではありません(そういう医者もごくまれにはいるかもしれませんが)。私たちが患者さんを診察する時は、病状をチェックし、必要な検査を想定し、診断をつけ治療を考えるわけですが、一方で本人の不安な気持ちをくみとることがとても大切になります。日本医大の竹内先生はこんなふうに言っています。
「人は病気だから医者にかかるのではなく不安だからかかるのだ」
そのことを通して信頼関係を築くことに、私は何よりも重点を置いています。そういう状況で患者さんに対して他人行儀に様付けをすることに、私は大きな違和感を感じます(ちなみに当院では外来の看護師は様付けで私たち医者はさん付けで呼んでいます)。
ただ、患者さんから医療従事者の態度に対して多くの不平や不満があるのも事実です。
いわく「十分に話が聞いてもらえない」、「説明が不十分でよく理解できない」、「態度が横柄だ」、「見下されているように感じた」等々。
フランスの哲学者ミッシェル・フーコーは「情報の差が差別を生む」と言っています。実際、私たちは患者さんより、知識や経験を含め多くの情報を持っています。そのことから患者さんより優位な立場に立っていることをつねに自覚し、謙虚で誠実な態度で接することを決して忘れてはならないと私は思っています。
要するに、言葉の背景にある私たちの姿勢や態度こそが問われているのではないでしょうか。
そういう観点から、謙虚さと誠実さを忘れずに、これまで同様そしてこれからも『患者様』にはさん付けで、私は接するつもりでいます。
話は変わりますが、かつて西鉄ライオンズに稲尾和久という剛腕投手がいました。年間に40勝以上したり、日本シリーズで巨人相手に3連敗の後4連投し4連勝したり、今の野球界では考えられない活躍をしました。当時のファンやマスコミは、そんな稲尾に対して『神様、仏様、稲尾様』とたたえました。私にはそのイメージが強いので、様付けすることは特別な尊敬や敬虔な気持ちがあってこそ自然な表現になると思っています。
どう考えても『神様、仏様、患者様』とはなりません。
ちょっと危ない表現になりますが、『患者様』は亡くなって初めて『神様、仏様』になるのです。