第23回年を取るということ(上)
さて、『神様、仏様、患者様』は息抜きになったでしょうか。認知症の話に入る前に、もう少し私の駄文にお付き合い下さい。私たちは誰もが死ねば『神様、仏様』になりますが、生老病死と言われるように老いと病気は避けて通れません。特に、認知症は老化との関係抜きで考えることはできません(まれに若年で発症するものもありますが)。そこで、私が50歳頃にやはり帯広医師会誌“つどい”に投稿しました私自身の体験をもとにした『年を取るということ』というエッセイを紹介します。
あまり意識したくもありませんが、気がつけばもう50歳を過ぎてしまいました。
「不惑」とはまったく無縁な40歳の時にも思いましたが、見せかけの分別はついたようですが、悩みと迷いの渦中で、未熟なままただオロオロしているのが実情です。(ちなみに50歳は「天命」といいます)
もちろん、身体は明らかに老化しています。40歳半ばから老眼が始まり、頭髪も髭も薄く白髪まじりとなり、皮膚の張りはなくなり良く見なくても年よりジミがあちこちに出現しています。ひどいのは歯牙の脱落でもう自分の歯は14本(その後さらに減りました)しかなく、全面的に義歯の世話になっています。
身体はまだ動きます(と思っていました)が、頭の方も相当なもので、物忘れ・置き忘れはいうまでもなく、あまりの繰り言の多さに妻や子供も呆れはてています。
ただ、若い頃からふけ顔で(20歳の時に小学生に「オジサン」と呼ばれショックは受けましたが)、「立派でありたいとか、正しくありたいとか、無理な緊張に色目をつかわず(吉野弘の祝婚歌の一節)」に生きてきて、妙に分別くさいところがあり、友人からは「若ジッコ」と呼ばれていました。そういう意味では変な「老人力(赤瀬川源平)」は身についていましたので、単に本物になっただけかもしれません。
さて、私は何だか情けない年の取り方をしていますが、人はそれぞれに年を取るわけで、けっこう大きな個人差もあります。しかし、早かれ遅かれ誰もが老いていくことは間違いありません。しかも、年を取りながらも生活は続きますのでそんな自分を受けとめ、社会に適応していかなければなりません。