第37回精神科看護とは
「精神科に勤めています」というと、「大変ですね・・」と同情されたりします。同じ看護職の中でも、精神科看護って、一般科と比べて特別と考えている人がいかに多いことでしょう。
そういう私も内科勤務の方が長くて、そう考えていた一人なのです。特別な何かをと思うのも、1つの偏見かと考えています。どの科においても、その病気を患っている方が、どんな苦しさ・辛さをもっているかをナース自身が少しでもイメージ化できていかなければ、信頼関係などは生まれません。精神と身体は一緒、ナイチンゲールは、心身一元論です。“ことばによるコミュニケーション”と“さまざまな非言語的コミュニケーションである身体ケア”(精神科には身体的ケアが不要のように思われがちなのですが、たとえ治療の方法が限界でも、常に身体ケアは必要&皮膚の接触を伴う手当ての大切さ)が一致して、人間だから病むその方の伝える無意識のコミュニケーションに答えることのできる可能性が出来てくるのです。相手の領域にヅカヅカと踏み込まないように、侵襲感を感じさせないような距離感の見定めが必要なことはあります。一般科看護でも、それは同様であって、特に精神科看護では自分自身のコミュニケーション能力が強く問われるということです。
日本赤十字看護大学教授の武井麻子氏は、
①人はさまざまな危機に遭遇し、乗り越えながら生きていく。危機に対しては、人はさまざまな反応を示すが、精神障がいはひとつの反応の仕方である。したがって、精神障がいは特殊なものではない。
②人は精神障がいの有無にかかわらず、自己実現を目指してその人らしく生きていく権利があり、すべての人が変化と成長の可能性を持っている。その過程を援助するのが精神看護の役割である。と述べています。
多忙な臨床現場の中で、ただただ業務をこなすのに精一杯な現実は、どの科においてもあると思います。しかしながら、その短い関わりの中にこそ、「今、ここで」に焦点をあてて、その方の思いを傾聴していくと同時にナース自らが感じていることを大事にしていく(自己洞察)という看護の基本が求められるのです。相互作用の中で、より自らの問題にも直面せざるを得ないものでしよう。かつ、自らの中の偏見に気づきながら、人間性を成長させていただける持ちつ持たれつな関係性を感じられることも精神科看護の醍醐味でしょう。
精神科の治療には多職種チームが不可欠です。そして、病棟は1つのコミュニティとして職員と「対等な話し合い」によって協力して治療と病棟運営にあたることが求められています。朝のミーティングから始まり、コミュニィティ・ミーティングには患者さんと共に、多職種が集まります。話し合うことで互いに学ぶことが多く、この場でも「いま、ここで」に焦点を合わせた安全・自由の保障をする治療的環境づくりも精神科看護に求められています。